2015要約

全てを道具に、苦しいならそれは間違った正帰還だ。 無理ならそのゲームを捨てろ。 ゲームをいくつか同時にやれ。メインをサブを作ってもいい。 余裕をもって丁寧に味わうんだ。 いい武器は使いまくれ。 最高の人生を演ずるんだ。 自己否定により高みに。 チャンスをつかむんだ。 恐怖と戯れ遊べ。 宇宙の中で運命と時代と言語に規定された自分が永遠と混沌に帰す、その先の不知と執着の消褪と人類の運命と、そこに絶対的価値などなく、無償の遊戯を楽しむことこそが至上命題であり、美しさの根源である。 捨てゲーにを知るかボケでスルーし、熱くなるものに熱くなれ。対価を求めない施しこし至高の喜び。 その裏で心臓を掴め。選択とは強いるものだ。今納得できる結論を出し続け、常に勝ち続ける。愉悦におぼれられる仲間をこそ、幸せの人生のために。

2015さらにまとめ

負の属性とは勘違い、そしてあるからには道具にするしかない、場合によっては最適な感情を生み出すんだ。 その触媒を知性と呼ぶ。 概念というものはすべて使うべきものだ。 負に走り出せば容易に正帰還に入ってしまう。 暫定的に定義することは、武器の形を定める便宜だ。 他人は利己的であり、自分も利己的であることを覚えておかなければならない、憎むくらいならあきらめろ。 怒りも関係性もまた便宜だ。 一つのことに集中してはならない、視野狭窄のハイリスク群だ、余裕をもって一つ一つを丁寧に味わうんだ。 得を手放してはならない、みんなそれを妬んでいるんだ。むしろ真に彼らのために最大限それを利用してやるんだ。 人生を、医者を演じること。「私」はそこにいないのだから、うまくやるしかないんだ。 その中で人体に任せて無心に手術をする。 その結果として美しさがそこに発現する。 その満足のためにやるんだ、時間を金に換える労働の中で、崇高なのはその瞬間なんだ。 全ては日本の神々のため、これがあるからこそ日本人は頑張れる、日本の優位性とはここにある。


死を考えると人生は短く感じるが、その時間のあまりに長く感じることを知ると要らぬ恐怖だと実感する。 こんな風にしている自分もすぐに越える。哲学含めすべての思考は自己否定に終わらなければ嘘だ。それだけのことなんだ。数ある思考の一つに過ぎない。 偶発的な機会が取れる範囲に来たら確実につかむ準備をしておくこと。それが自己否定、つまり止揚の糧となる。揺れ動く無限の肥大化の中からその全体の自己否定という形で抜け出すんだ。 言語と時代と運命に規定された思考の集合体たる私はいつか永遠と混沌に帰すのか、不知故の幻想なのか、人生に悔いがなければ生に対する執着が薄れるというのも現実だろう。関係性が苦しくなれば死も近く感ずるものだろう。 不安というのは9割実現しない。語ることは私を配る作業ではないか。決められた人生でもなお、否、だからこそ美しい。これこそが絶対的な美しさであり、真も善も実は相対的に過ぎず、汚されてしまう。そこに自由意志があるから怖くなる。それはいわゆるエラーなんだ。触るならば華麗に戯れ遊ぶべきものだ。 そもそも社会とは人類が生き残る手段でしかなく、人類の運命の中で日常を過ごし、それを思い出すために人は空を見上げる。人類の存続も一つの過程でしかなく、絶対的価値などない。
結局全部人間の運命的生理学的変化のせいであり、戦いが好きな種族の無償の遊戯の中でいかに楽しむかに限る。無限のゲームのなかでいいものを探し出し日常の中の美しさを感じるんだ。
 正帰還で肥大化する化け物で人を管理する輩に、バカ正直に取り合うのは考えることの放棄だ、だから詩人は狡猾に騙される。知らない誰かに、だからこそ利用されるんだ。 うるせえばかの一言が選択肢になければ搾取される。 そうしないといきれない人間がいて、それで生きていけるのはそれゆえだ。自尊心を食い物にして、だからこそこちらからつぶせばいい。そこが弱点なんだ。萎縮だけはしちゃいけない。無限に湧き出る欲望を、どれだけ自己否定しても残る自尊心を満足させてやるために。ゲームを消去法で選べ、全てのゲームなんて始めることすらできない。己が正義を貫くのだ。迷ったら手放せ。自分への裏切りをわざわざ生む必要はない。ポジティブに考えることこそが一番の薬だ。施して対価を求めないことが結局本当の喜びであり、わざと騙され続ける人が最も生を楽しむ。 仕方ない圧力に押され妥協しているように見えて裏から見ると心臓をわしづかみにするようなしたたかさが。 どんな環境、状況でもいかに楽しみ学ぶかを考え心臓を掴む。それを学びと呼ぶ。そうして今を生き、今納得できる決断をすれば、自分の納得できる環境に自分を置くことにつながる。 今青春をしよう、何かができなかった過去はそれによってしか救われない。 自由の中でゲームを次々して、高みに到達するんだ。決断を迫られているようではすでに負けている、選択はさせるものだ。勝負に勝つ必要などなく、常勝の倫理こそが環境を良くコントロールする。 通る善行でなければそれは自己満足に他人を巻き込んでいるに過ぎないんだ。 全人的な愉悦に基づく信念と、それを共に持つ仲間がいれば人は愉悦におぼれて生き、そしてそのために死んでいける、それが人生の一要素、一つのゲーム、全てを愉悦のための戦略道具として、人生はいつか必ず完成させなければならない時が来る、だからこそ走れる、できもしない完璧を目指して遅れを取っている自分が気持ちいいんだ。全てがよくあるようにパズルのピースを一つ一つ丁寧にはめていくんだ。 それができない内にその範疇に手を出すんじゃない。 幸せに日常を送るために。

2015年まとめ

 マイナスの感情というのは使うべきものです。 過去の悲しみを力に、今の悲しみを作戦に。最悪勘違いかもしれないし。 知性とは苦しむためでも、泣くためでも、自傷のためでもなく、幸せになるため。  でも悔しさとかを忘れてはいけない、それはあきらめていない証拠だから。そのうえで武器として手に持つんだ。
 概念につぶされるな、遊ばれるな、奴隷になるな、背負うな、手に持ち、華麗に操るべし。 諸刃の剣である。 奴隷になれば正帰還で無限に膨れ上がる化け物だ。 持てるものをどう使うかで人は豊かにも貧しくもなれる 結婚も、出世も何もかも
 女とは何か、他人とは何か、自分とは何か 暫定的に定義せよ、用いるのだ 定義とは使用のための便宜である 答えが出ないことが精神を不安定にする。悪い結果でも早く出すのだ 他人は女は相手のこと考えてるふりして自分のことしか考えてない、忘れるな、裏切られるぞ だから近くで支えてくれる人間にコロっと倒れる 人を憎むくらいならあきらめた方がいい 倫理的思考などそこにはない 関係性とは消耗するものじゃない、疲れてはならない 腐ってる暇があったらデブリしろ
 一つのことに集中していたら視野は当然狭くなる、熱くなれ、しかし周りを見ろ  余裕をもって一つ一つの時を丁寧に楽しむべし
 ○○は得だと言われたところで、○○の得を手放すな お前が大嫌いだと絡んでくるのは、それはどうしようもない憧れがあるのだ 怒りを表現しなければいられない時点で面倒な人間だ 
 人にやってはいけないこと:異常に甘やかす、ふざけたことに怒らない、余裕ないのにおごる、全部教える、このこしかないと思い混む
 いい医者を演じられればいい、いい人を演じられればいい人間力を鍛えて人間力でぶつかり人間性を否定された気になってへこむのはあまりに無駄 演技を否定されているに過ぎない 感情を開放すること
 ストレスなんて感じる必要ない、即怒りに昇華させ行動せよ それが行動を自足させる力である。
 コンプレックスがあるならなくそう、思考で、物理的になんでもいい、それがあるだけで人生がくすむ でもコンプレックスなんて次々湧いてくるから一時的かも、持ってるくらいでちょうどいいくらい考えないと


 必要ない創はつけない、しかし必要ならばためらわず創を広げよ 根治性と安全を担保できないなら低侵襲など価値はない、むしろ害でしかない
 患者の幸せを邪魔する伝統なら、それを伝統として認めない 記しておけばいいのだ
 木に任せて無心に掘っていく、瞑想のような状態、これを仕事にできてうれしいのです、手間がかかるけど美しい仕事
 どんなに聞こえのいいことを言ったところですべて自分のため、そうでないことなどするな 裏切られるだけだ 演技をしているだけに過ぎない、苦しい演技ならやめてしまえ 結局労働で時間を金に換えるためのもの
 出世とは上司から奪うということ、ならば上司の失態を覚えておいて損はない
 現場の確認に行かないと間にいる人間が実権力を握ってしまう



 心はいつも陛下とともに これを忘れては日本人としての優位性が失われる これが日本の大きな心の支えの一つである


 死について考えていると人生が短く感じる、しかしそうしている時間があまりに長く感じると、人は時間とともに想像を軽く越えるし、それ相応に思考するもだから、到底想像の範囲外にあるのだ それを哲学とも呼ぶ
 哲学ってのは答えが出ないゆえに思考の外にある。 自己否定以外の答えがでるものは間違いだ。 それはもはや哲学だけではなく、全てにおいて 自己否定を包括せねば安定などあり得ない
 偶発的チャンスが視界に入ったらつかむ準備、具体的な想定をしておく、これが自分の想定を超える自分になるための方策 これが心構え
 永遠と混沌に帰す 死の恐怖とは不知の恐怖で、肥大化する、すると人は奴隷と化す、人生が空虚になります 種としての存続の意志であるだけです  先立たれる不幸を知りなさい
 知っているから恐怖する、であれば死の恐怖は幻想だ 大人になるもはわるくなかっただろ?だから死ぬのも悪くないんじゃないか?
 悔いのない人生を送れば、生に対する執着が薄く、死に対する恐怖も薄い 死はあくまで生との対比で思考される、生がプラスじゃなければ死は怖くない。 死への恐怖心で生きているのかもしれない
 寝るときは怖いか、怖くないなら死も同じようなもんだ
 私とは、言語と時代と運命に規定された思考の集合体ならば、死は怖くなはいのではないか 語ることが、私を配る作業ではないか どれだけ決められたものでも、なお人生は美しい、だからこそ美しいんだ、その矛盾こそ美しさで、その勝てない絶対性こそ美しさです。 真実も善も相対的に過ぎません。一方美しさは主観です。汚されてしまうのです、絶対的でないものは
 子を残せない人の死はどうなる、生はどうなる
 死に瀕して諦められる子供たちの精神構造とは あまりにも周りの反応が苦しいのか
 私はこの世に一人しかいないのだろうか、本当にそうだろうか
 しかし死の恐怖から科学がスタートしている 自由意志があるから死が怖い、運命は決まっている、そういう意味で死の恐怖ってのはエラーなんだよ 死の恐怖とは華麗に戯れ遊ぶべきもの
 何にせよ、死は怖くても、いやだからこそこの世界を味わい尽くしてやろう 締切がないといつまでも弄り回してしまう、出してみて初めて分かる、だから締め切りは大事なのです
 不安というのは何かが違うから怒ってくる、自分は自分が最もおさまりのいいバランスのところにいればいいだけ  不安のうち9割は実現しない  そしてホルモンのせいだからしょうがない
 そもそも社会は人類が生き残るための道具で、私が君が生き残るためではなく人類が生き残るため、人の死というのは人類の運命なのです それを思い出すために、人は空を見上げる 生命というものがどの環境でどこまで生き延びるか、どこまで進化するか、その過程の一つでしかない その意志の正体はわからないけど、人類の存続に絶対的価値などない
 人生は、世の中のすべてはそういうプレイなのです Enjoy the game 無償の遊戯 どういうルールか、何が目的かいち早く読み取れ 逆に日常にこそ本当に美しいものが転がってる
 膨大する恐怖の化け物で人をコントロールする輩が多いのだけれども、最も強い恐怖は死の恐怖といっても過言ではないだろうけど、その恐怖はもしかして誰かが裏で策略した結果かもしれない、もういない誰かかもしれない バカ正直に取り合う誠実さは逆に考えることの放棄 だから詩人は狡猾に騙されもてあそばれる  うるせえばかで済ませられないから正帰還に入る そうしないと生き残れない奴らがいるんだ、生き残るためだから仕方ない 奴らは自尊心を薄めたいんだ、だからこっちから仕掛けていかないといけない、そこが弱点なんだから 萎縮したらそれこそ負けだ 人は実は戦いたいのだ、無限に湧き出る欲望を止めることなどできない、ゲームを作りたがる どれだけ空化しても残る自尊心を満足させてやるのが大事
 感謝されるために医療職に就くのは発達障害、低い自尊心を満たすため、でもそんなものとても満たせる現場じゃないからトラブルが起きる
 実害を及ぼしてくるものに限りつぶすべし、ほかは放っておけ。全てのゲームをやっていたら確実に時間が足りない 己の正義を貫け、他人の正義を裏切らない限りにおいて。 邪魔になることはあるが、真摯さはなくしてはいけない。 ついてこれない人は放っておけ。いずれ離れていく。迷ったら手放せ。 人生は自尊心に構っていられるような時間ないだろ
 ポジティブに考えよう、酒タバコをやめてもそれにはかなわない
 ずっと提供できないものは今すぐ辞めてしまった方がいい、それは自分に向けた裏切りを生むだけ さっさと別れろ
 感動を共有するのがプロ。 自己満足は誰でもできます。 広げなければもったいないのです。 誰に認めてもらえなくても永遠に続けられるようなものをしなさい
 人生の本当の喜びは施して対価を求めないことです
 騙されていることを知りつつ騙さてている人が人生を楽しむ
 表から見ると仕方ない圧力に押され妥協しているように見えて裏から見ると心臓をわしづかみにしているようなしたたかさ


 環境を変えたいならその環境をいかに楽しむかを考えよう、そこだからこそ学べるものがある 経験はなんであれ学べるものだ
 未来を考え今を決断すべからず、明日死ぬかもしれぬ命、今納得できる決断を その積み重ねが自分の納得できる環境へと自分を導く
 俺たちに固定された顔などなくて、その瞬間瞬間をいきているだけ、固定されて持続しているものなどないのです
 青春はいましよう、これからずっとしよう、何かができなかった過去はそれでしか救われない
 自由の中で制約を自分にフレキシブルにかせる人間こそ高みに到達する
 決断を迫られている時点で負け戦 選択はさせるもの
 勝負に勝つ必要などない、俺は常勝だ、俺という指標においては
 妻が不機嫌になるのを嫌がるな、増長するぞ

 かつて衣食住を満たすだけで毎日が終わった時代もあった

 英語教育は英語外来語の整理から始めるといい

 高収入と結婚したいと思うのは、つまり男性が高収入になる社会を作り出す

 非モテは性欲を隠すのが下手

 オタクは好きだから貢ぐのではない、貢ぐから好きになるのだよ

 同平面を引き算、奥行きを足し算 これが写真


 国とか大きな機関の権威を借りれば人は納得する 覚えておいて損はない


 浮気者の遺伝子は妻を奪われ多様性を獲得する



 肉つけてると明日が楽しみになる、待ち遠しくなる

 キレるときは難聴の人にやるようにゆっくりと低い声で、あるいはそれ以上に熱くなる TPOに合わせて





 いじめるのはよく知らないから、よく知ってるのにいじめられたら自分が何か悪いかもしれない

 私の三つ子の魂はなんだろう 俺ってこういう人間なんだって生々しい感覚だけが「らしさ」


 絶望こそ物語の最高のスパイスなのだ
 つらくない人生はつまらないだろ


 癌を診るということは長い付き合いの中でろくでなしの愛すべき瞬間を味わうこと、それしかないんだよ


 慰謝料、そのためにやった行為を換算してみろ、大体トントンになる

 どれだけ自分を愛せるか、それは他からもらった愛に比例するのかもしれない


 がんばるな、がんばるから他人ががんばらないことにいら立つ、そんながんばりならがんばるな
 通らない優しさは裏切られるだけ、あるいはそれでもいい優しさしか施すな


 アドバイスは褒めてその長所の副作用を指摘してあげる


 少数派で全人的な愉悦に基づく信念と、それを共に持つ仲間がいれば人は愉悦におぼれて生き、そしてそのために死んでいける、それが人生の一要素、一つのゲーム、全てを愉悦のための戦略道具として、人生はいつか必ず完成させなければならない時が来る、だからこそ走れる、できもしない完璧を目指して遅れを取っている自分が気持ちいいんだ
 全てがよくあるように、パズルのピースをはめていこう


 「わからないのは俺だけのせいじゃない」 だからそいつらのために一日2回は恥をかいてやろうじゃないか


 何かの奴隷になってはいないか、しかし今歩み続けているか、何かに向かっているか、この矛盾の中をしっかり歩けているか そしてその中で星空を見上げる余裕はあるか


 は「自分のいいように、自分のスタイルを形成しなさい、君が幸せじゃなければ仕事をする意味がない」

 ふ「人は死んで最後の教育を成す、死ななければならない、いつか死ぬから安心しろ、人は必ず完成する」





4秒吸って、3.7秒止めて、5秒吐く 寝れる

あの人は蜘蛛をつぶせない

褒められたら「よき師に恵まれました」

風呂と飯は大切にしよう

2014まとめ

自分自身が大きくなるのには限界があるが、他人の中での自分が大きくなるには限界が無い。 恐怖という感情で、恐怖を増幅させることで、人は人をコントロールする、意識下か無意識下かは置いておいて。 バカ正直にまともにとりあう誠実さは考えることの放棄だ。俺は安易な誠実に溺れがちだから、逆に振る言葉を持っていないといけない。相手の出方に対しちゃんと反応すること、流さない、これは本当に自分の欠点であると思う 敵の思う壺。 「知るか」対応するのが当然という考えは自分を殺す。 支配するのだ
他人の表情に惹起される負の感情、ただの勘違いのことすらある。
詩人は人間というものを深く根本的に知ることはできるが、人間たちを知るのはきわめて拙劣である。詩人はだから瞞されやすく、狡猾な人間の手にかかって思うさま弄ばれる。
そうしなければ生活できない人間がいるのだ。
逆に、他人をランク付けし、対応を変えること。 敵たりえる場合においては、それができねば処世ができない。 理想論を拡大しすぎると自分を殺す
自分を好きになること、他人は自分を嫌いにさせたいんだよ そう、人に触れることが大事なんだ、こっちから仕掛けていくんだよ
「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこにとびこむんだ。やってごらん。」 そこが敵の弱点なのだから
潰したいんだよ、突出したのは 平均化して、悪い意味で保守的にいきたいんだよ
そしてその集合体として社会はまず単純なものからふるい分けていく、そうドMからだ 仏教的蓮の花はドMの為すところである
行動の持続は怒りの持続から。 大丈夫、怒りの矛先は常にどこかにあるから。 それがない社会なんて嘘で、それこそが怒るべき対象だ
逆に怒ってる相手にはゆっくりと低い声で落ち着かせる、あるいはそれ以上の声でヒートアップさせ決着をつける、TPOに応じて
萎縮してはいけない、萎縮させようとしてる人間はつぶせばいいし、そうでない人間に対し萎縮しては互いに不幸である
あるいは、どういうルールのゲームをしているか、何が目的かの構造を読み取れ
人は何が何でも戦いたいのだ、必要がなくても。 目的を達したいのだ、欲望を満たしたいのだ。 欲望は無限に、多方面から湧いてくる。 止めることなどできない。 ゲームを作りたがるのだ
個人の苦しみは克服されればその過程は人生の宝である
やらずに患者に損失よりも、やって病院に損失を
人は年を経る毎に安っぽくなっていく そうしないと生きれない でもその心には崇高なものがある、だからこそ安っぽくなれる、それに耐えられる、自然に為せるのだよ
人を幸せにすることで最も幸せになれる


まともじゃない道には其れ相応にまともじゃない人が行く。上司も、同期も、部下も。
だから自分が納得できるくらいの環境に進めるくらいには努力しないといけない
人は、どんどんクズになっていく それを理性でどれだけ抑えるか お終いを見据えてしっかりと考えていかないといけない


説教ってのは垂れてくれるもんだと いかに怒られないようにするかじゃなくて、何を思って垂れてくれるのか理解して解釈してフィードバックしないとそりゃ何回でも言われるよ


「ああ、俺ってこういう人間なんだ」って生々しい感覚、いつまでたってもどこまでいってもその感覚だけが「らしさ」なわけだ
月を見て、空を見て、宇宙を思う 世界の小ささを感じる
神に祈るということ、それは綺麗な形で自分に寄りかかる術だ そう定義できない教えに何の価値があるか


風呂と飯は大切にしないといけない


少数派で全人的な愉悦に基づく信念と、それを共に持つ仲間がいれば人は愉悦におぼれて生き、そしてそのために死んでいける
全ては愉悦のための戦略である
手段目的を固定化すると、つまり絶対的に何かを信じるとそこで成長が止まる
安心しろ、完璧なものなど完成し得ない、人は無限にさまよい続けるうちに、道半ばで死んでいく、個人も、社会も、人類も だから全力で走り抜けろ
できもしない完璧を目指して遅れを取っている自分が気持ちいいんだよ
全てを道具にし、目的を成せ 目的も時に手段となりうる、しなければならない
手段と目的は概念であり、そこにあるものに付けてるだけだ、何者も何者にもなりえる
すべてがいいように、パズルを解くかのように楽しみながら生きて行くのだ
全て虚無の状態に概念によるタグ付けをし、己の満ち足りるために業を成す
人生というのは常に演劇である、感情を開放すること 基本である ゼロからはじめないと何も大成しない
空というのは消極的のみにあらず、積極的にも追求すべきものであり、その指標が感情を目的化する所にある
何を目的とするか、それは人それぞれ違うもので、感情を目的とするのは私の哲学上の決定であるというだけのことで
その観点で他人を見るということが処世という意味では非常に重要なことであるし、己の目的遂行につながるものでもある
自信をつけること それがどれほど大事な事か、ここまで空化した結果として残っているこの必要以上に高い自尊心を満足させてやらねばならない
それを自然に下げる術も探さなければならないが
しかし死への恐怖というのはもうかなり薄れた、しかしいざ急な死が接近すると恐怖を感じるが、これはむしろそうあるべきであろう


ちょっとでもわからなければ相談をしなければならない ERの時のノリでやってる感は否めない、それが最近しわが集まって限界に達して各所から出て来ただけに過ぎない
俺は元々そういう傾向があるから、「わからないのは俺だけのせいじゃない」そう心に常に置いておくくらいできっとちょうどいいんだと思う
恥をかくのを避けているというわけではないのだが、じゃあなおさらやってしまえよと今振り返るとそう思えるんだけどな
だから一日2回は恥をかけ というくらいの言葉を胸に置いておくのでいいのかもしれない




・尊敬すべき言葉たち
ふ先生「オペをした結果、オペをする前より幸せにならなけらばならない、必要でしたで切断してはいけない、気合で残すんだ」「人は死んで最後の教育を成す、死ななければならない、いつか死ぬから安心しろ、人は必ず完成する」「ろくでなしでも愛すべき瞬間がある、それは癖のある酒が最高に旨い瞬間だから味わうしか手はない。 弱さや辛さがわからない人間にはわからない瞬間」


S先生「鼓室形成は極小のアートだ」「人にとって、人だからこそ聴覚が大事なのだ、人は聴覚がなければ発達すらできない」


は先生「自分のいいように、自分のスタイルを形成しなさい、君が幸せじゃなければ仕事をする意味がない」


手術は己との対話です 全力で集中できる精神的訓練の場であります

望むなら、望む者があるのならば  感情とは、人の目的とは  暫定的思考の必要性と欠点

演じるということは その心の奥底を開放し満たすことだ 望むなら、殻を破り、感情を解放し、混沌の中から快感を創造するんだ、何にも縛られない自分という役を思うがままに演じるんだ
それは既にそこにある自分をなぞる行為ではない、自己同一性に固執するのは愚かでしかない
あえて言うならば真の自己同一性とはそうやって殻を破り続けた先にただただ残ったもののことだ


感情とは記憶のタグ付けである それ以外の何者でもない とするならば いよいよ俺は何者なんだろうか
記憶が遺伝するというのが本当なら、割と本流なのかもしれない
人生の目的=種の保存となればそれはつまり最も効率的、理論的
というかロゴスとパトスの合致点
だとしたらタグ付けが終われば負の感情の残り香なんてさっさと消せばいいわけだ 香りなんかつけちゃったりもして


こうやって理論を突き詰めてもわからないところで暫定で決めたことが人を苦しめる だってそこを問題点として観てるわけだから、その暫定的な思考をかなりの頻度で施行してしまうわけだろ
でもそうやって生きていかないと人は生きていけないわけだ


人は年を経る毎に安っぽくなっていく そうしないと生きれない

やっぱりグリップだね、人差し指・中指が痛くなるグリップじゃ力は伝わらない
裏面は開いてねじ込む フォアは何でもいいからねじ込む、フォアは入らないなら無理して開く必要はない
サーブはなるべくラケットの先端で バックは開きサーブ、フォアは閉じサーブ