2014まとめ

自分自身が大きくなるのには限界があるが、他人の中での自分が大きくなるには限界が無い。 恐怖という感情で、恐怖を増幅させることで、人は人をコントロールする、意識下か無意識下かは置いておいて。 バカ正直にまともにとりあう誠実さは考えることの放棄だ。俺は安易な誠実に溺れがちだから、逆に振る言葉を持っていないといけない。相手の出方に対しちゃんと反応すること、流さない、これは本当に自分の欠点であると思う 敵の思う壺。 「知るか」対応するのが当然という考えは自分を殺す。 支配するのだ
他人の表情に惹起される負の感情、ただの勘違いのことすらある。
詩人は人間というものを深く根本的に知ることはできるが、人間たちを知るのはきわめて拙劣である。詩人はだから瞞されやすく、狡猾な人間の手にかかって思うさま弄ばれる。
そうしなければ生活できない人間がいるのだ。
逆に、他人をランク付けし、対応を変えること。 敵たりえる場合においては、それができねば処世ができない。 理想論を拡大しすぎると自分を殺す
自分を好きになること、他人は自分を嫌いにさせたいんだよ そう、人に触れることが大事なんだ、こっちから仕掛けていくんだよ
「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこにとびこむんだ。やってごらん。」 そこが敵の弱点なのだから
潰したいんだよ、突出したのは 平均化して、悪い意味で保守的にいきたいんだよ
そしてその集合体として社会はまず単純なものからふるい分けていく、そうドMからだ 仏教的蓮の花はドMの為すところである
行動の持続は怒りの持続から。 大丈夫、怒りの矛先は常にどこかにあるから。 それがない社会なんて嘘で、それこそが怒るべき対象だ
逆に怒ってる相手にはゆっくりと低い声で落ち着かせる、あるいはそれ以上の声でヒートアップさせ決着をつける、TPOに応じて
萎縮してはいけない、萎縮させようとしてる人間はつぶせばいいし、そうでない人間に対し萎縮しては互いに不幸である
あるいは、どういうルールのゲームをしているか、何が目的かの構造を読み取れ
人は何が何でも戦いたいのだ、必要がなくても。 目的を達したいのだ、欲望を満たしたいのだ。 欲望は無限に、多方面から湧いてくる。 止めることなどできない。 ゲームを作りたがるのだ
個人の苦しみは克服されればその過程は人生の宝である
やらずに患者に損失よりも、やって病院に損失を
人は年を経る毎に安っぽくなっていく そうしないと生きれない でもその心には崇高なものがある、だからこそ安っぽくなれる、それに耐えられる、自然に為せるのだよ
人を幸せにすることで最も幸せになれる


まともじゃない道には其れ相応にまともじゃない人が行く。上司も、同期も、部下も。
だから自分が納得できるくらいの環境に進めるくらいには努力しないといけない
人は、どんどんクズになっていく それを理性でどれだけ抑えるか お終いを見据えてしっかりと考えていかないといけない


説教ってのは垂れてくれるもんだと いかに怒られないようにするかじゃなくて、何を思って垂れてくれるのか理解して解釈してフィードバックしないとそりゃ何回でも言われるよ


「ああ、俺ってこういう人間なんだ」って生々しい感覚、いつまでたってもどこまでいってもその感覚だけが「らしさ」なわけだ
月を見て、空を見て、宇宙を思う 世界の小ささを感じる
神に祈るということ、それは綺麗な形で自分に寄りかかる術だ そう定義できない教えに何の価値があるか


風呂と飯は大切にしないといけない


少数派で全人的な愉悦に基づく信念と、それを共に持つ仲間がいれば人は愉悦におぼれて生き、そしてそのために死んでいける
全ては愉悦のための戦略である
手段目的を固定化すると、つまり絶対的に何かを信じるとそこで成長が止まる
安心しろ、完璧なものなど完成し得ない、人は無限にさまよい続けるうちに、道半ばで死んでいく、個人も、社会も、人類も だから全力で走り抜けろ
できもしない完璧を目指して遅れを取っている自分が気持ちいいんだよ
全てを道具にし、目的を成せ 目的も時に手段となりうる、しなければならない
手段と目的は概念であり、そこにあるものに付けてるだけだ、何者も何者にもなりえる
すべてがいいように、パズルを解くかのように楽しみながら生きて行くのだ
全て虚無の状態に概念によるタグ付けをし、己の満ち足りるために業を成す
人生というのは常に演劇である、感情を開放すること 基本である ゼロからはじめないと何も大成しない
空というのは消極的のみにあらず、積極的にも追求すべきものであり、その指標が感情を目的化する所にある
何を目的とするか、それは人それぞれ違うもので、感情を目的とするのは私の哲学上の決定であるというだけのことで
その観点で他人を見るということが処世という意味では非常に重要なことであるし、己の目的遂行につながるものでもある
自信をつけること それがどれほど大事な事か、ここまで空化した結果として残っているこの必要以上に高い自尊心を満足させてやらねばならない
それを自然に下げる術も探さなければならないが
しかし死への恐怖というのはもうかなり薄れた、しかしいざ急な死が接近すると恐怖を感じるが、これはむしろそうあるべきであろう


ちょっとでもわからなければ相談をしなければならない ERの時のノリでやってる感は否めない、それが最近しわが集まって限界に達して各所から出て来ただけに過ぎない
俺は元々そういう傾向があるから、「わからないのは俺だけのせいじゃない」そう心に常に置いておくくらいできっとちょうどいいんだと思う
恥をかくのを避けているというわけではないのだが、じゃあなおさらやってしまえよと今振り返るとそう思えるんだけどな
だから一日2回は恥をかけ というくらいの言葉を胸に置いておくのでいいのかもしれない




・尊敬すべき言葉たち
ふ先生「オペをした結果、オペをする前より幸せにならなけらばならない、必要でしたで切断してはいけない、気合で残すんだ」「人は死んで最後の教育を成す、死ななければならない、いつか死ぬから安心しろ、人は必ず完成する」「ろくでなしでも愛すべき瞬間がある、それは癖のある酒が最高に旨い瞬間だから味わうしか手はない。 弱さや辛さがわからない人間にはわからない瞬間」


S先生「鼓室形成は極小のアートだ」「人にとって、人だからこそ聴覚が大事なのだ、人は聴覚がなければ発達すらできない」


は先生「自分のいいように、自分のスタイルを形成しなさい、君が幸せじゃなければ仕事をする意味がない」


手術は己との対話です 全力で集中できる精神的訓練の場であります