信念と諦念

傍から見ると似てるようで違う
俺はきっと


それでいいんだ
いや、どっちでも現実は変わらない
表さない限り


信じることもいいが、それほどの愛がそこにあるのか
結局、誰も身勝手だ
個同士である以上、確率論に終始する


団結は、大きな波になる
そしてそれは必要なことなのだろう
でも個と個の交わりにおいて、そんなものは不可能だ
感情という大きな波も向こう岸ではさざ波にもならない
直接体に訴えかけたらいいかもしれないが
いや、きっとそれでいいのかもしれない
それも結局、確率論だしね