一年の締め

としようと思ったところで、去年のまとめ記事を探したところで気づいた


ない


よく考えたら、去年は待機と初めての年末年始当直のせいで全く余裕が無く、一年のまとめは愚か、大掃除も殆ど手をつけていなかった状態であった
と、いうことで一昨年の抱負を振り返るのは自然の流れである
このように書くと特別の驚きがそこにあるように思われるが別にそういうわけではない
文章がくどい、どうした俺、まあいい
この辺りから変わっていないなと思う
学生時代の最後に決めたものはでかい
それはそれを考え、決めている際にも強く感じていたものだった
強烈で強固なもの、おそらくこれを書いた時はそれが具体的にどういうものかなんていうのは全く想像できていなかったものだろう
結局、怒りという所にすべての結論をもっていっている辺りが思考停止と精神が追いつまれている証拠である
仕方ない、国試の直前だからな
怒り、それは確かに強烈な力を持っているがうまく使役しないと振り回される
それは気づいていたんだろうが、結論付けるとそこに行ってしまっただけなんだろうな
怒りを爆発させるのに楽なのが敵を見つけることではあるんだ
結局無限に空に向かうことこそが最高の生き方だ、その中で施行される無限とも思われる行為・選択からベストの場合分けと道筋をどこまでも暫定的に決定していくしかないのだ
想定外を常に頭の片隅に入れておく必要がある


そして感情のために、人は生きる、それは確かである
だからそのために先のような生き方をする必要があるんだ
目的なんだよ、感情は
手段にもなり得るが、そうやって回っているだけだ
それを混同してはいけない


で、自信というのも感情であり、つまり目的であり手段である
完全に目的化も手段化もしてはいけない、それが空ってことだろう
自分を信じるに足る者と思うこと、それに必要なのは自分を認める人だ
わかってはいただろう、まとめる作業が足りていない
断片的な知識をどうつなげたらいいかが
一人で生きて行くためには誰かに認められた過去が必要なんだよ
たった一人でいい、そういう出会いが
そこには割り切りが必要なんだよ


死が怖いのは知らないから、それも知っていた
死は具体化するほど怖くなくなっていく
これは実際に多くの死に触れたことで明確になったことである
これからも明確になっていくだろう


生と死との狭間で次々と空を突き詰めていく
これしかないよ、人生って
同じところに立ち止まって不安に震えながら、一喜一憂する人生でいいならそれでもいいけどさ
要は死の恐怖ってそういうことだよ
怒りたいなら、そういう人たちに怒るのが無限の感情力が湧いていいのかもね
最後には許すことになるんだろうけどさ
許すというか回避することになるのかな




そして、そこからのまとめ
これは書き方の問題だけど、「集」以外にもその都度書いていかないと使いづらいわ


現実は確率論であり、観念はすべて100%の断定で生きて行く


向上心があるから不安が生まれる、不安は欲望から生まれるのだ
これは心の底に定着しているなぁ


自分のことと相手のことを同じだけ考えるんだよ
それの振り分けは空の中での経験による


無謀と抑うつの極端を避けて生きて行く 空っていうのは消極的に言えば、極端を避けるってことなんだよ


自分を嫌いになるな、極端を避ければ、あとはその自分を利用する術を身に付け利用するだけだ
諸刃の剣なのは何でもそうだ
だからそれを悪用したり、攻撃する輩なんてのは当然いるわけだ


極端の希望を持つことが、裏切られるということとイコールなんだよ
それを避ける空だ


萎縮ってのは極端だ、そういう人、どういうものにどう対処するのか、楽しみ、体で感じ、覚える
それこそ空の中で道筋を立てる作業だ


言葉にしないと遠ざかるに決まっている
相手もそういう作業をしているのだから



知る喜びを直接仕事にできるのが医者って仕事だ





要は
無限に空に向かうことこそが最高の生き方だ、その中で施行される無限とも思われる行為・選択からベストの場合分けと道筋をどこまでも暫定的に決定していくしかないのだ
想定外を常に頭の片隅に入れておく必要がある
消極的には極端を避ける手段である
無謀と抑うつ 自信と萎縮 自分と他人
自分を好きになること、妬んで嫌いにさせたい奴がいる

そのために、立ち止まらないことと、そして人と特に言葉で交わること
萎縮なんて絶対しないこと
すべて手段であり、目的であるが、混同しないこと
不安は欲望であり向上心である つまり力だ 感情はすべて力だ
力を力と意識すること
目的としたら美しいことを目的とし、手段としたら便利なものを手段とするのだ
すべてが良くあるよう、パズルを解くかのように楽しみながら生きて行くのだ