肉体という限界

人間には肉体という絶対的限界がある
少なくともこの人生、その人生は肉体という限界が無限に立ちはだかる
人間の能力は無限だというものだが、というか私もそう信じているが
それはあくまでも肉体という壁の中においてだ
んなもん無限じゃねぇじゃねぇか、となるのではなく
限界に一致はできないという意味で能力・成長は無限なわけで
そういう意味で肉体が「無限に」立ちはだかるわけだ


だからがんばるな、なんて話ではなくて
むしろ究極に近づくために
あらゆる方面で努力・邁進していこうという話はいままでしてきたとおりで
その方向は興味と一致させるといろんな面で効率的だろうというのもそういうわけだ


問題は人間に壁などなくて、自分で壁を作っているだけだ、なんて言って、肉体の壁というものを、抽象的な話で無視してしまうってことだ
それが意図的であれ、無意識であれ、問題なわけだ
意図的にやるってのは、それで人を動かそうとしているわけだからたちが悪いのは当然だが
無意識でやってる分には、なかなか気づけない点で厄介なのもまた事実だ
それに、日常においてそんなに意識するものでもないだろうと思う
究極の限界、死は必ず訪れるということを意識しながら生きていくというのは非常に大事なことだと思うし
肉体という限界、その他気持ちの問題でなく、システムなどの限界を見つめていくことも大事だと思うが
なぜだろうか、特に日本ではそれを見ないような感じを覚えてしまう
かといって、特定の宗教にお熱になって、しがみ付いている様子を見てしまうと、それはただ恐怖から逃れたい一心で、かえって死を見つめるのに邪魔になっているようにも思う
宗教について語ると顔を真っ赤にして、声を荒げる人たちのことを言っているのだが
こういう目で見ると、日本というのは考える切欠さえつかんでしまえば、非常にそういう問題を考えていきやすい文化・体質であると思う
もっと考えてこ、積極的に、ポジティブに死とか宗教とか哲学とか政治とか経済とか医療とか教育とか考えてこ
日本って国は、大局で見ると全体的にいい国だよ、本当に
考えれば考えるほど好きになれる国だよ、この国は