ヒポクラテスの誓い

時代に合わないとか言われて省みられなくなるような書き方が色んなところでされてるけれども
そんな風に扱っていいんだろうか
パターナリズムだと言うが、そもそもパターナリズムってなんだ
よく考えてみるとそれは至極主観的なことかもしれない
受ける側の自覚に判断が委ねられるところが大きいということはそういうことだ
それは方法論の洗練によってパターナリズムから解脱できるんじゃなかろうか
その具体例が共感的態度だったりするのだろうか
あれはあれで自己目的化してる気もするけれども
あくまで手段なんだよな
その先にある医学の表現のための
受ける側が「意志に反して」って思うって事は既にそこに医療の以前に何かがいるってことだろう
そこで医療が、医学が負けてるからパターナリズムなんて呼ばれるんじゃないだろうか
そこを変えるんじゃなくて
方法論を洗練することに重点を置くべきだと思うのだが
あくまで個人的には


それ抜きにしてヒポクラテスそのまんまガチガチにってのも確かにアレだとは思うけれどもね
ただ今の時代がやりすぎてる感は否めない
振り返しがきつそうだ


医が仁術だと思っていては己の身を滅ぼす
医は倫理だ
バランスだ
練られた方法論による学の発現だ


何にせよ
そこから逃げちゃだめだろ
と思うわけだけれども
どうしようもないよね
郷に入れば郷に従えってさ