遺伝病の勉強とかしてると
「私」ってものを特別視するのはおかしいんじゃないかって思ってくる
最近一般的には凄い大事みたいに思われてるけど
要は今まで見てこなかったものが見えてきたからそれ「も」重視しないと
の「も」が抜ける振り子の端じゃないかって
身体機能の一つ
っていうと違うのかもしれない
遺伝子と記憶だったとして
記憶って免疫に近い気はする
それって同レベルの話なんじゃないかって
何かもっと複雑だったり全存在的なものだったとして
それも結局は機能なわけで


医療でいうところの
SOLとQOLとが作る平面の上の次元に
きっと何かがある


じゃあ「私」作用って何なんだ
アイデンティティ
なんてここでは偏った概念になっちゃうんだろうな
私は思惟によって変容し
他人は行為によって変容する
観念と現実
似てる様で全く異質なこの二つ
そういう風に考えると
「私」って完全に観念的な存在
でも観念って言っても
全部生化学に換言されるって話もある
精神科は神経内科統合失調症だって誰かが言ってたなー
今ですらそんなに知識無いけどうまいのかな?なんて思ったりもした
まぁ、それでも異質な事に変わりはなくて
むしろ機能としての一面が強くなるわけで
って最初に戻ってるな
で、「私」作用って何だ
インナーとインター
どっちにしろマクロでネガティブフィードバックかかってないと存在自体危ぶまれる
インナーのマクロは個人で有限
インターのマクロは4次元で考えればっていうか、考えた時点で実質無限
そんな有限をうつしだすのは無限の他人
現実的な自分をうつしだすには効率的にいけば次元の数だけ他人がいればいい
私機能って世界の模型か
世界の受容を観念化と同義とするならば
それは解釈問題で
ん、それって私機能の一だよな?
ん、それでいいのか?
いや、全てか?
じゃあ、逆にそれが無かったらどうなるか、病態を考えてみよう
全てが真新しく見えるわけだよな
感動こそ全てになる
それは「私」機能を持つ者に簡単に操られることになる
でもそれは私機能が生理的でその中で病理的に私機能が無いという相対的病理
まぁ、今回の選挙の反応としての正体ってこれなんだけど
それはおいといて
絶対的な病理ではどうなるか
↑この行間めっちゃ密度濃いんだけど
浮かばない
そもそも他の動物ってアイデンティティ的なものを持ってるのかって
あったとしてそれって必要かって
進化生物学的観点に限って言うと
いや、待て、それでいうと
私機能が病態なんじゃないか
いや、それは言い過ぎで
多様性の一つじゃないのか
じゃあ現状は多様性の獲得した状態でいい状態か?
それは納得しがたいな
いやそれはこの私が、か
ん?だとしたら今の世の中に嘆くべきことなんて一つも無くて
そもそもどれが生理でどれが病理かなんて
進化生物学的観点ではっきりつかないもの全部人間の傲慢だかんね
ところで進化生物学的観点の「進化」部分って本来の意味完全に逸脱ってか放棄してるよね
まぁ、いいや
だから傲慢じゃないなんてことは言わないけど
それだけは傲慢じゃないなんて思うのは
この私の傲慢なのかな
じゃあ私機能どれだけ強いかって
どんだけ金持ってるかってのと同じ次元の話になるわけか?
いや、ゼロゲームではないよな
観念的金持ち?
もうこのタームだけ見たら意味ワカンネ


たまたま浮かんだ関連話↓
人を鏡に喩えれば
お互いうつしだせば無限の奥行きが見えてくる
とここで止めとけばいい話みたいだけど
ちがくて
それは偽りで
どこまで行っても同じ自分がいるだけ
どれだけ奥に行っても
同じものしか見えない
それを考えるのは無用の混乱を呼ぶだけ